「エルマーのぼうけん」という本があります。どうぶつ島につながれた龍の子どもを、エルマー少年が助けに行く話。そんな話が見沼田んぼにもありました。
龍がとらわれているのは
国昌寺。その昔、大きな沼であった見沼で暴れていた龍を、東照宮帰りの左甚五郎(眠り猫を彫った人ですね)に依頼して、寺の山門に封じ込めてもらったそうですが、夜な夜な抜け出し、再び暴れ始めたので、今度は釘で打ち付けてしまったのだそうです。これが釘付けの龍。
開かずの門に彫られています。棺を抱えてこの門を潜ると、龍が遺体を食べてしまうので、開かずの門としたそうです。
場所は
さいたま市緑区大字大崎2378。見沼を囲む台地に建っています(地図の現在地がそうです)。
緑色のところがかつての見沼。大宮から川口にまでおよぶ大きな沼で、中禅寺湖と同じくらいだったそうなので、面積は約
12平方キロメートルというところでしょう。
こちらでは荒ぶる龍(竜神)に供物や奉納の巫女舞を捧げ、鎮めて昇天させる儀式が行われました。この「祇園磐船竜神祭」というお祭りが開催されることは、見沼代用水に桜並木を見に来たときに知りました。
5月4日に行われた
祇園磐船竜神祭は、まず国昌寺の開かずの門を開き、龍を解き放ち、自由になった龍とともに、向かい側の台地にある氷川女體神社へと向かいます。そして磐船祭祭祀遺跡(いわふねまつりさいしいせき)で祭祀を執り行い、龍を昇天させるというわけです。本来は沼の一番水深が深いところで行っていたそうですが、なぜこちらに移ったかというと、亨保12(1727)年、八代将軍吉宗の政策(享保の改革)により、干拓事業が行なわれ、沼が水田となったため、祭祀を行うことができなくなったからだそうです。
もちろん龍も住むことができなくなるので、工事を行った井沢弥惣兵衛為永(いざわやそべえためなが)の寝所に夜な夜な化身となって訪れては、新しい住処を見つけるまで着工を待ってほしいと訴えたとか。そんなことがあっても遅らせることなく干拓は進められたそうで、いつの世も変わらないなあと、やり切れない気持ちになったりもするわけですが、弥惣兵衛や、村、そして彼らが事務所代わりにしていた寺でも様々な災いが起きたそうで、関係者はたぶん、神様を相手に横紙破りなことをするべきではないと肝に命じたことと思います。

上は「江戸名所図会248 三室村元簸河神社」。現在の氷川女體神社。